こんにちは。
島暮らしのカウンセラー 山中じゅん子です。
最近は仕事の関係で、島へ移住された方にインタビューをする機会がたくさんありました。
移住って色んな背景があるのですよね。単身の人もいれば、家族の人もいる。
移住の動機は大きく分けると3パターン。自発的な場合は、ライフスタイルの変化、就職・転職きっかけ。それ以外は、パートナーに連れられて、とか、結婚とか。
都市的な暮らしを終わらせたかった私の場合は、ライフスタイルの変化ということになります。
インタビューは平均90分、長い方で2時間以上。たっぷりと移住の経緯やその方の価値観、考えていることを聞かせてもらうのですが、印象に残っていることを2つ紹介してみます。
1つ目。
自分の「違和感」にしたがって行動すると、人生が大きく変わっていく。
2つ目。
人それぞれの、生きるテーマがある。
まず、1つ目の違和感の話。
違和感をそのままにしている時って、しずかにじわじわ苦しいんですよね。
仕事でも、友人関係でも、パートナーシップでもそう。
大きな痛みじゃないから、日々の楽しみでごまかされちゃうこともある。おいしいものを食べたり、お喋りしたり、YouTubeを見たり、スポーツしたりとかで。
もちろん自分を整えることも、「今に満足する」とか、そういう考え方もいいんだけど。自分の根っこを無視していると、何度も同じことを繰り返しちゃう。
思えば私が会社を辞めたのも、移住をしたのも、きっかけは小さな違和感だったかも。
たとえば、成果拡大を求められ続けた会社員時代。遊ぶ=飲みに行く、の暮らし。楽しいけど、落ち着かない。ドーパミン的な幸福は依存性があり、満たされない。
あとはね、「このままの生活を、5年後・10年後も続けたいか」と自分に問うたら違っていた、という声もたくさん聞きました。
私も、39歳頃に「結婚、まだしてないね」と思ったことから始まり、「結婚しないとして、このまま会社員として仙台で暮らし続けたい?」と聞いたら、「違う。もう、じゅうぶん」という答えだったから。
ちなみに、その違和感にしたがって行動しようとする時、色んな不安が出てくることがあります。引き止める周りの声も聞こえる。自分の内側から出てくる不安でよくあるものって、「お金をどうしよう」っていうのが多いですね。
不安が出てくる時は、「まだその時じゃない」っていうことが多いので、焦らずゆっくり。インナーチャイルドケアとか、なんらかのセラピーが効果的な場合もあります。
あとは、仮に劣悪なものであってもこれまで慣れ親しんできた環境が変わっていくことって怖いもの。「恒常性(ホメオスタシス)」といって、元に戻ろうとする自然の摂理もあるし。「そういうものなんだな」って軽くとらえるのもいいと思う。
それと、当たり前の話なのですが、自分のやりたいことや本心に沿う行動を止めてくる人の声は聞かなくていいと思ってます。それこそ、ノイズなので。
インターネット断食と同じように、人間関係断食があってもいいと思う。そして、違和感を感じる時って自分が成長している証の場合もあるので、周りにいる人も自然に変化していきます。変わることを止めようとしているうちは、何も始まらない。リラックスして、自然に身をゆだねてみる。
そして、お金のことは腹を据えて「決める」と、なんとかなるものです。「決める」は、めちゃくちゃ大事な1番初めのプロセス。
違和感に気づいて、勇気を持ち自分らしい行動をしていった人たちの声を聞いて、あらためてそんな風に感じました。
2つ目の人生のテーマの話。
色んな人の話を聴いていると、「仕事で成長することがテーマ」とか「家族に尽くすことがテーマ」とか、人それぞれ人生のテーマ設定があることに気づきます。これが、非常におもしろいのです。
私の場合は「自分の本心に沿って生きる」がモットーでありテーマですが、ぱっと見、さらっとした言葉なのですよね。この言葉の背景には、「親や社会の期待に応えすぎない、自分を1番大切にする」とかそういう教訓もあります。
ところで。
こんな瞬間、ありませんか?
何気ない日常のシーン。
いつも見ている景色のはずなのに、いつもより胸にせまってくる。
しょっちゅうはないです。
私の場合は、月に数回だったり、数か月に1回だったり。
最近の経験談として具体的に言うと、先日の仕事帰りの夕焼け空の下。職場の人が4~5人連なってお喋りをしながら駐車場まで歩いている様子を見かけました。なんてことない風景なのですが、なんだか幸せそうにみえて、「尊い」という言葉が浮かんだ。自分の視点というよりは、もっと離れたところから俯瞰しているような。神様が、高いところから小さな人間たちを見て、「かわいい」と思うような、そんなイメージです。
こんなのもあります。
今、島で暮らしていて、移動のほとんどはクルマなので歩くことは少ないんです。
前日の夜にお酒を飲んで、居酒屋の近くに止めたクルマがある場所まで歩いた日がありました。
いつもの朝のいつもの道。左手にはぽつぽつと住宅が並んで、右手には海が広がります。特に楽しくも悲しくもなく、ニュートラルな状態なのですが、「あそこ(15m後ろ)から自分のいる辺りを見たら、女性が歩いている様子がきれいかもしれない」、そんな風に思いました。
誰かの物語を聴く時、その人がどんなに悩んでいても苦しくても、人の人生が美しいっていうのはこういうことだと思う。
私が話を聴く仕事をしている理由のひとつとしては、そんなひとつひとつの人生を見せてもらって、「きれいだな」って心を揺らして「よくできました」っていうハンコを押していくような。そんな感覚もあります。
ぜんぶ、肯定したい。
ぜんぶ、正しかったのです。
自分の人生を物語にする。人によっては、こんな風に意味付けをすることが、生きる勇気や安心につながる方もいると思います。そうすると、たとえばですが、自分がなぜに自分の親を選んで生まれてきたのか、そういうこともわかっちゃったりするんですよね。
最後にこの言葉を。最近の気持ちとシンクロしていたので。
私という箱には、私が想像できる全部のものごとがつまっている。
吉本ばなな「ひな菊の人生」より
誰に見せることもなく、誰に話さなくても、私が死んでも、その箱があったことだけは残るだろう。
宇宙の中にぽっかりと、その箱は浮かんでいて、ふたには「ひな菊の人生」と書いてあるだろう。
あなたの選択、ぜんぶ正解でした。
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これまでの人生を掘り下げ、感じ方・考え方を点検し、本質・輝きを見つけて磨くカウンセリング・コーチング・キャリア相談などを行っています。子ども時代に培った思い込みはインナーチャイルドケアでゆるめられます。
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