ひとりでお正月を過ごしているとき、ふと思い出した。
「そろそろ “はじめてのおつかい” の季節かも」
ネットで探してみたらやっぱりそうでした。ふだんテレビを見る機会は少ないのですが、これは好きな番組。
見つけた時はまだ録画ができないタイミングだったので、iphoneのスケジュールに入れて見るのを忘れないように。
私が長女だからか、特に感情移入して涙してしまうのは、きょうだいで出かけたパターンのお姉ちゃん。
自分も不安だったり、荷物が重たかったり、お母さんのことを思い出してさみしくなったりするのに、涙をこらえてぐずる妹や弟を励ましている。
そういえば私が5才か6才の頃、短い時間、自宅から行方不明になった日があって。
市内のスーパーマーケットで発見されました。
プラスチックのおもちゃのお金を持って、買い物に出かけたのです。どういう経緯なのかは覚えていないけど、子どもの足では30分ほどかかるお店。
覚えているのは3つのシーン。
いつもの国道沿いの景色。
信号待ちの時に、隣にいた自転車に乗ったお姉さんがにっこりと微笑みかけてくれたこと(嬉しかった)。
レジでピンクや黄色の、おもちゃのお金を出したこと。
それが私のはじめてのおつかいでした。
何を買いに行ったんだろう・・・

ここのところずっと、ママさんのお話を聴かせてもらったり、かつてアダルトチルドレンだった大人たちにインタビューする計画を立てているおかげで、子ども時代のことばかり考えています。
図書館で借りた「15歳のコーヒー屋さん」(岩野響さん)。
発達障害で学校になじめず、自分ができることを追求していった結果コーヒー屋さんになった彼の物語。

「発達障害」という名前があるからこそ社会的に認知されたり、サポートされる仕組みづくりや多様性について考えられることはいいことなんだろう。けれども、改めて「障害」じゃなくて「特性」だよね、とも思った。
発達障害と診断される人は、学校生活では、社会では、組織のなかでは、「できない」とされることが多い。でもそれはすべて人間がつくった規則や価値観の中でジャッジされるだけであって、自然のなかには、地球には、宇宙には、「できる・できない」ってないものね。ただ、ある。それだけ。
マイノリティが認知されやすくなってる時代だけれど、「障害」って呼ぶことは古い価値観をぬぎづらくさせる要因になっているかもしれない。
読書のあいまに絵本を読んで休憩すると、なおさらそんなふうに思う。
ふたごの子ねずみが、木にクリスマスプレゼントを持っていく世界があるんだから。
もっと想像しよう、っていう話。

すべての人が自分に合わないことを無理せず、得意なことができて、居心地よくいられるフィールドをつくっていく。子どもはフィールドを自分でつくることがむずかしいから、大人がサポートする。
そんな世界がいい。
大人の私でも、うっかり合わない場所に自分を放りこんでしまうことは、いまだにある。時々自分にあやまる。「変なことさせてごめん」って。自分をみじめにさせないことには、注意深くありたいと思っています。
さて。この本で印象に残った言葉があって。
それは、「人間が人間を育てるなんて、おこがましい。生命を教育しようなんて思うことが間違っていて、サポートでいいのよ。響さんは、響さんで完成されていてすばらしいわけだから(中略)お母さんは、響さんができないことをサポートすればいいの」というもの。
「私がしっかり育てなくちゃ!」とプレッシャーに感じていたお母さんに、お医者さんがかけた言葉でした。
たしかに育てなくていいといわれると、ちょっと楽になる。子どもがいない私でも安心を感じる言葉でした。
おしまい。
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