自分に我慢を強いてる状況ってじわじわと不幸になるよね、っていうことを改めて思ったので、過去を振り返りながら「我慢」について書いてみたいと思います。
かつての職場でグループリーダーをしていた頃の話。
毎朝5名のスタッフと丸く集まって朝礼をするのですよね。
1番初めに、「おはようございます」という私の挨拶から始まり、それに対して「おはようございます」と5名のみんなが挨拶を返す。その時、ほとんど毎日ほんの少し頭を下げるだけで口を開かない(挨拶をしない)人が一人いたんです。
「おはようございます」の後にすぐに伝達事項などに入るので、「あれ?」と思うのは一瞬のこと。そうして慌ただしく仕事が始まり、いろんな出来事や感情の中にその違和感が埋もれていく。それでも毎日のことになると、少しずつモヤモヤが募っていくんですよね。しまいには、その人が挨拶をするのかしないのかに注目しだしちゃう不毛な時間が流れるわけです。
人間関係においてのストレスって、多くがこれです。
つまり、自分に我慢を強いている状態。
言いたいことがあるのに、言えていない。言葉がどんどん肚にたまっていく。
この時の私の状況で言うと、挨拶を返してもらえなくてほんのちょっと傷つく、ということを日々繰り返している。大げさに言うと、その状況を自分に耐えさせているということ。(ホント自分に失礼ですね。)
人と関わっている以上こんなことって日常茶飯事で、目をつぶってしまったら楽なこともあると思うんです。組織で働くことを辞め、フリーランスや個人事業主の道に進む人は多かれ少なかれこういうストレスを減らしたいから、という理由もありますよね。
私も最近、ちょっとした我慢が数日続いて「ああ、今日も〇〇だったな」と思うことの繰り返しがあった。
そのちょっとの我慢を放っておいたら、どんどんカタマリになっていった。自分を無視し続けていたわけだから。
それでね、こういうことがあった時に周りの友達に「こんなことがあった」って言って、「ああ、ひどいね~」なんていうやりとりをしたらちょっと気分が晴れる。私もやります。だって、「やっぱり自分の方が正しかった」という設定にしたいから。でも、これだけでは解決しなかったです。その時は一瞬楽になっても、必ずまた元のモヤモヤにもどってくる。なぜなら、どっちが正しいっていうのは関係ないから。自分がどう感じているのか、の方が大切だから。
だからやっぱり、自分の気持ちや希望を相手に伝える。それが、自分を大切にするっていうこと。
(本当は、その状況を完全に受け入れる、その状況から去る、というやり方もあるけど、まずは言える自分になった方がいい。)
それにめぐりめぐって、相手を尊重することにもなると思う。たいてい先方は悪気がないので、自分の行為で誰かが不快になっていることを知らないって不幸だよね。「言ってくれてありがとう」ってなるかも。ならなくてもいいけど、どっちでもいい。大切にする順番は、まずは自分、次に相手。
先の私の例で言うと実はその人と相性が良かったので、ある日の朝礼後に席に行って「ねえねえ、いつも挨拶に返事してないでしょ。さびしいよ。」と軽く言うだけでした。(返事は、「え!そうだった?」と無意識だった様子。その後は挨拶を返してくれるようになりました。)
伝えるだけで、気持ちがすーっと軽くなる。
「言えた!」という自信が湧いて、自分の中の「我慢」が消える。
事態が好転するかどうかは実は重要ではなくて、自分の意思を伝える、それそのものがめちゃくちゃ大切なのです。
自分の深いところ(インナーチャイルドとも言う)が、「大切にしてくれてありがとう」と喜ぶ。
ちなみにですが、相手に伝えたら確実に事態は動くよ。
好転しなくても、絶対に動く。
ちょっと大きなテーマだと、それで人間関係が終わることもあります。
でも、別にそれでいいじゃん。
自分が我慢するより、ずっと幸せです。
自分の気持ちや意思を伝えて終わるような関係性なら、感謝を持って卒業した方がいいって思ってます。
ソースの蓋をちゃんと閉めてくれない旦那さん。
洗濯カゴに雑に衣類を入れる子ども。
LINEの返信が3日後の彼。
私物の文房具を毎日借りにくる同僚。
会うたびに容姿をからかってくる友達。
昭和の考えを強いてくる親や親戚。
ぜんぶ、言ってみたらいいです。
我慢の上に成り立つ関係性なんて、健全じゃない。
自分を大切にしよう、っていう話。
▼「みずうみ」でオンライン対話・文通しています
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▼2022.4.2 Kindle本を出版しました
お読みいただきありがとうございます。
外ではうぐいすが鳴いています。
今日も、よい春を。