4月2日に、初めてのKindle本「アダルトチルドレンとインナーチャイルド ~20代・30代 8人へのインタビュー 上巻」を出版したのですが、2ヶ月お休みしてようやく下巻の執筆にとりかかりました。

誰かのインナーチャイルドに向き合う日々の中で、自分の子ども時代のことを思い出すこともあって、今日は私のインナーチャイルドのことも書いてみたいと思います。

インナーチャイルドって、ドラマやニュースで見るような家庭環境が特別な人だけものではないです。誰にでもあるもの。

特に、人と自分を比べる癖がある人、人生に焦りを感じている人、ネガティブ感情の中に長くいる人、思考過多の人には、たいてい傷ついたままのインナーチャイルドがいるのですよね。

インナーチャイルドとは、大人の自分の中にいる子どもの自分。未解決な感情・欲求。「本心」とも言い換えられる。

幼少期のことを思い出すのが大変だったら、こんなふうに考えてみるのもいいです。

たとえばなんだけど、仕事や暮らしの場面で誰かにアドバイスをもらいました。頭では、「そっちのほうがいいんだろうなあ」と理解していても、胸のあたりがざわざわする。その、「胸のあたり」がインナーチャイルド。

もしくは、何かいいことをひらめいた。でもその後に、「いや、やっぱり〇〇だからできないよな」と諦めてしまう。最初の、ひらめいたほがインナーチャイルド。思考じゃなくて、ハートのほうですね。

私が好きなホロスコープ研究家 Akane Nishimura さんがインナーチャイルドについて語っているnoteもすごくわかりやすいです。

自分の人生を振り返ってみても、退職、移住、起業、それから、結婚していない人生を許可すること(してもしなくてもどっちでもいい)など、大きな決断の時には必ずインナーチャイルド癒しのステップがあったなあ、って思います。「〇〇しなければいけない」っていう思考がゆるんで、どんどん楽に自由になっていったし、前よりも自分のことを好きになったし、信頼もできた。親の人生を生きるのではなく、他人の評価を気にするのではなく、ただ自分の本心に沿って行動していけばいいわけだから。

ふだんの暮らしの中でのインナーチャイルドケアのやり方は、自分の感情が動いたとき(淋しい・怒り・悲しい)にただただ感情に寄り添うこと。

「寄り添う」って何をするのかというと、自分で自分に声をかけるのです。紙に書いても、実際に声に出しても、心の中で唱えるのでも。「あんなこと言われてすごい嫌だったよね」とかって具合に。

すべての感情は、1番初めに子どもの頃に経験してるものなんですよね。大人になって、それを繰り返してるともいえる。だから、しっかりケアに取り組む場合は「子どもの時に同じようなことがあったかな」って思い出して、出来事ではなく、自分の「感情」にフォーカスしてとことん寄り添う。

それができたら、同じくらい大事なのは「じゃあ、本当はどうしてほしかったのか」「どうしたかったのか」っていう欲求に目を向けること。

たいていの人は、この真の欲求が抑えられて、モヤモヤしたり、好きじゃないことをやり続けていたり、生きづらさを感じている。だって、自分に嘘をついてるわけですから、そりゃそうなんです。

何度かインナーチャイルドケアを繰り返していると、子どもの頃の鉄板のエピソード(淋しい・悲しい)をたまに思い出すことがあります。もちろん、思い出したらまたケアをするタイミングなのですが、こんな簡単なやり方もあるのでご紹介。

それは、映像として浮かぶ子どもの自分の右肩あたりに、妖精みたいなキャラクターを加えてあげること。なんでもいいんです。飼っていた犬や猫、死んじゃったおじいちゃんやおばあちゃん、スヌーピーやティンカーベルでも。

ちょっと長くなりますが、よく思い出す私の話をしますね。

小学校3年生の時、スキーのスポーツ少年団に参加することになりました。私は運動が苦手で自分からやりたかったはずがないから、たぶん親に参加を促されて。

それで、初めての日にオリエンテーションでいろんな知らない子どもがいるアウェイ感を感じた後、心細い気持ちでスキーのリフトに並びました。生まれて初めてのリフトだった。

顔は正面を向けたまま体をねじって右手でリフトの棒をつかむのですが、うまく乗れなくて転んでしまったんです。鉄のシートが頭にゴツンとぶつかった。すごく痛いし、恥ずかしかった。失敗したのは私だけだった。

それでも、もう1度チャレンジをして乗ることができて、でも空中を動くリフトは体がスース―して怖いし、雪山をスキーで滑ってくることもすごく怖かった。全然上手にできなかった。それで、本当にもう我慢がならなくて、先生にも誰にも言わずにこっそりスキー板を脱いで、涙をこらえてひとり山から下りて来たのです。

家まで歩いて帰れる距離ではなかったので、途中の電話ボックスで母に電話をかけて、迎えに来てもらうことにしました。誰かに見つからないようにしてたからなのかわからないけど、なぜか子どもの私は道に出ずに、電話ボックスの中にいたまま母を待っていたのです。

わかりにくい場所にあったので、母は私に気づかずに車で通りすぎてしまいました。その時に、電話ボックスのガラスをバンバン叩いて、涙を流しながら「お母さん、ここだよ!」って叫んでいたのを強烈に覚えています。(ほんとになんで外に行かなかったんだろ…。)

そこからはしばらく記憶が途切れてるのだけど、結果的に母に見つけてもらって家に帰って安心したと思ったら、夜に父に叱られたんです。途中で諦めたこと、誰にも言わずに帰ってきたこと。諭すような言い方ではなく、大きな声で怒鳴られて。しかも、スキーのことだけじゃなくて、当時私がやっていた学習教材(進研ゼミみたいな)のページが真っ白で全然勉強していなかったことを一緒に怒られたのがとても印象に残ってます。「こんなにつらい思いをしたのに、なぜ怒られてるんだろう…」とも思ったような。

これが私のトラウマ的な思い出。こういうのって、大小はあれども誰しも子どもの時にありますよね。

大人になった今思うと、ああいう体験の中に「自分は、そのままの自分では愛されない」という思い込みが生じて、勉強を頑張ったり、親の顔色をうかがったり、人の評価を気にする「自分」が仕上がっていったんだなあ、と思っています。

長くなりましたが、こういう場合のスタンダードなインナーチャイルドケアとしては、まずは感情に寄り添う。その後に、抑圧した欲求を見つける。今回の私で言うと、そもそもスキーのスポーツ少年団には行きたくなかったはずで、自分の意思を確認してもらいたかった。スキーができなくて帰ってきた時も、「怖かったよね。もう行かなくても大丈夫だよ。」と優しい言葉をかけてもらいたかった。父に叱られたとしても、母には守ってもらいたかった。それが叶えられなかった欲求。こういう欲求をそのままにしておくと、「人に認められたい」っていう承認欲求が不健全に強くなるんです。

それで、「右肩の妖精」の話に戻りますね。

まずは、この一連の体験をしている子どもの自分に、片時も離れずにずっとそばで守っていてくれる小さい何かがいるっていう想像です。

最初はなんとなく「マイメロディ」(サンリオのウサギ)が浮かんだのですが、もっとふわふわしてるものかな…と思って、サンダーバニー(若い人は知らないかも)になりました。

あの時の自分のそばに、ずっとサンダーバニーが付いていて、「がんばれ!」「大丈夫!」と応援してくれていたと思うと、安心する。映画みたいな話だけど。これが私の編み出した簡単なインナーチャイルドケア。ひとりじゃなかったよ、っていうこと。子どもの自分が癒されてあったかい気持ちになると思います。子どもの時じゃなくても、頑張っていた、つらかった時代の自分をイメージして、思い出の中の自分に光をそそいでみてください。

*インナーチャイルドについては、以下の記事でも取り上げています。


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